論文および研究ノート

 成都における陸游と范成大の交流  1996年10月 日本中国学会報 第48集

 南宋を代表する詩人、陸游と范成大の、成都における交流のあり方について考察しました。今見ると非常に不完全なものですが、今日に至る陸游と私との関係を決定づけた論文です。

 雨の詩人陸放翁  1998年2月 愛知大学文学論叢 第116輯

 陸游の作品には雨をうたったものが多いことから、その代表的な作品を紹介しつつ、彼の人生をたどってみました。今見るといかにもお粗末なもので、論文というよりは随筆に近いものです。これが大学の紀要に発表した最初の論文です。

 淳熙五年の陸游・范成大・楊万里 1999年2月 愛知大学文学論叢 第118輯

 淳熙五年という年は、南宋を代表する三人の詩人たち、陸游・范成大・楊万里にとって、それぞれに人生の転機となった年でした。その概略をオムニバス形式でまとめたものです。私にとっては、ライフワークの一部として、それなりに意味のある論考なのですが、これだけを見ると、いかにも断片的なものに見えますね。范成大、反省大です。

 范成大と楊万里の詩歌の応酬 1999年12月 愛知大学文学論叢 第120輯

 南宋を代表する二人の詩人、范成大と楊万里の生涯にわたる交流の概略を述べ、二人の間で応酬された詩歌を網羅的に紹介しました。ただし訓読もなく原文のみ。大変不親切な論文です。交流もごく大まかなアウトラインの紹介のみで、細かな研究はこれからの課題です。

 陸游と楊万里の詩歌の応酬(上) 2000年2月 愛知大学文学論叢 第121輯

 陸游と楊万里の、淳熙十三年から十六年までの交流の概略をまとめました。あまり出来がよくなく、私の中では、なかったことになっている論文です(笑)。(上)を書いただけで気力が尽きてしまい、(下)はまだ書いていません。今さら書こうにも、間があきすぎてしまって。。。また書き直すしかありませんね。

 姜夔「除夜自石湖帰苕渓」十首浅釈 2001年7月 愛知大学文学論叢 第124輯

 范成大と楊万里の交流から派生して、二人の両方にかかわった姜夔(きょうき)について調べてみました。今見直すと、この注釈にも不備が多く、できれば全面的に書き直したいです。ちなみに、「除夜……」の連作は平凡社東洋文庫の『宋詩選注』第3冊に10首のうち4首が収録されています。

 姚鼐『近体詩鈔』に収録された陸游の七言律詩 2005年7月 愛知大学文学論叢 第132輯

 姚鼐(ようだい)は清朝の桐城派古文の代表者。その『近体詩鈔』は、方回の『瀛奎律髓(えいけいりつずい)』同様、唐宋の詩人の律詩のみを集めた選集です。一応論文として発表しましたが、内容は研究ノートに近いものです。

 『剣南詩鈔』に収録された陸游の絶句 2005年7月 愛知大学語学教育研究室 言語と文化 第13号

 研究ノートです。『宋詩鈔』の『剣南詩鈔』に収録されている陸游の作品のうち、絶句の作品をリストアップし、簡単な目録を作成しました。

 関於『宋詩選注』所選的陸游詩 2005年11月 紀年陸游誕辰880周年曁越中山水文化国際研討会論文集(中国語)

 中国の浙江省紹興市で開催された陸游生誕880周年記念の国際学会で発表するために書きました。銭鍾書『宋詩選注』に収録された陸游の32首の作品を簡単に紹介したものです。ほぼ同じタイトルですが、下記の論文とは内容が異なります。大急ぎで書いたため、あまり出来はよくありません。この論文を編集しなおしたものが「『宋詩選注』所選的陸游詩浅説」のタイトルで『陸游与越中山水』に収録されています。これまでにかかわった本をご参照ください。

 『宋詩選注』に収録された陸游の作品について 2005年12月 宋代詩文研究会 橄欖 第13号

 宋代詩文研究会として銭鍾書『宋詩選注』の訳注にたずさわり、その際陸游の部分はまるごと私の担当となりました。その作業の副産物としてできたのが、この論文です。『宋詩選注』と、先行するさまざまな宋詩選集を比較対照し、銭鍾書が選んだ32首の陸游詩の特性について考察しました。『宋詩選注』の仕事から解放され、ようやく論文の創作力が回復した時期の論考です。

 『宋詩別裁集』に収録された陸游の七言絶句 2006年7月 愛知大学語学教育研究室 言語と文化 第15号

 『宋詩別裁集』に収録されている陸游の15首の七言絶句を紹介し、訳注を施しました。研究ノートです。

 略論『瀛奎律髓』所収録的陸游作品 2006年8月 宋代文化国際学術研討会論文集(中国語)

 元・方回の『瀛奎律髓』に収録された陸游の律詩について論じました。中国四川省成都市で開催された国際学術会議に参加するために書いた論文です。そのうち日本語に翻訳してみたいと思っています。

 永嘉の四霊の七言絶句について 2007年3月 宋代詩文研究会 橄欖 第14号

  『宋詩選注』の訳注を手がけた際、永嘉の四霊も私の担当になりました。それ以来彼らの作品に興味を持つようになり、研究を続けています。これは私が四霊について書いた最初の論文で、『橄欖』に発表した2本目の論文です。

 趙師秀の五言律詩「雁蕩宝冠寺」及び「薛氏瓜廬」について 2007年7月 愛知大学語学教育研究室
 言語と文化 第17号

 永嘉の四霊に関する2本目の論文です。趙師秀は、四霊の中で最も評価の高い詩人です。この論文では、その代表作である五言律詩2首を紹介し、解説しました。

 徐照の五言古絶句について 2007年9月 愛知大学文学論叢 第136輯

 永嘉の四霊に関する3本目の論文です。徐照は四霊の中で必ずしも評価の高い詩人ではありませんが、五言絶句に佳作を残しています。この論文では、六朝の楽府詩をふまえた作品を5首紹介しました。

 陸游の梅花絶句について 2008年1月 愛知大学語学教育研究室 言語と文化 第18号

 陸游には、梅の花をうたった詩が150首余りあります。この論文では、それらの作品を概観した後、 『宋詩鈔』にも収録されている七言絶句の連作「梅花絶句」6首について調べました。

 『宋詩精華録』に収録された曽幾の作品 2008年3月 愛知大学文学論叢 第137輯

 『宋詩精華録』に収録されている曽幾の5首の作品を紹介し、簡単に解説しました。

 陸游の「小舟遊近村捨舟歩帰」四首について 連作として読んだ場合の面白さ 2008年5月 火鍋子 第71号

 一海知義先生の斡旋で、はじめて「火鍋子(ひなべし)」に書かせていただいた原稿です。単独の作品としてはよく知られる陸游の七言絶句を、本来の連作の形で読むことを試みました。

 『宋詩精華録』に収録された徐璣と徐照の作品 2008年7月 愛知大学語学教育研究室 言語と文化 第19号

 永嘉の四霊に関する4本目の論文です。すでに発表した論文と若干の重複がありますが、『宋詩精華録』に収録された徐璣と徐照の作品を一通り検討してみました。

 『宋詩鈔』に収録された徐璣の七言絶句 2008年8月 愛知大学文学論叢 第138輯

 永嘉の四霊に関する5本目の論文です。徐照の時と同じ要領で、徐璣の七言絶句について調べてみました。

 『宋詩別裁集』に収録された北宋初期の詩人たちの七言絶句 2009年1月 愛知大学語学教育研究室 言語と文化 第20号

 『宋詩別裁集』に収録された七言絶句のうち、北宋初期の代表的な詩人たち、王禹偁、魏野、林逋、宋祁、石介の作品について解説しました。

 『宋詩鈔』に収録された陸游の六言絶句 2009年2月 愛知大学文学論叢 第139輯

 六言絶句は、五言や七言と違い、かなり特殊でマイナーな形式ですが、宋代には作例が少なくありません。そのうち陸游の作品4首について解説しました。

 范成大の「鄂州の南楼」詩について 2009年7月 愛知大学語学文学研究室 言語と文化 第21号

 南宋を代表する詩人范成大(はんせいだい)の七言律詩「鄂州の南楼(がくしゅうのなんろう)」について詳説しました。末尾に、「陸游の梅花絶句について」の内容に関する補正を付記しました。

 
 というわけで、宋詩を中心にごちゃごちゃといろいろなことをやって来ました。これらの論考をどういう形にまとめて行くかが、これからの課題です。なお、以上のうち「
言語と文化」に掲載されたものは、PDFファイルの形でご覧になれます。

 忙しくてなかなか更新できませんが、どうぞ気長にお待ちください。(2012年5月25日記)

  
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